カウラ日本庭園 Cowra Japanese Garden
カウラ市は首都キャンベラから170km、シドニーから約250kmの内陸にある小さな町で ある。第二次世界大戦中、日本人捕虜収 容所があり、終戦直前に脱走を試みた日本 人兵士231名が命を落とした地である。歴 史を重んじたカウラ市は墓地をつくり戦没 慰霊に努めた。、市はカウラ観光公社を立 ち上げ庭園と計画し開発し友好を深めるこ ととした。カウラ日本庭園はオーストラリア、 日本両政府の援助のもと、日豪平和友好 のシンボルとしてつくられた。中島健は現 地の岩石、地形、植生を活かし美しい日本 庭園を設計。工事の際も現場に頻繁に赴 いたという。現在も専任の庭師が4名おり、 日本にて剪定技術を学んだり日本庭園を 見学するなどの研修を重ね、庭園の維持 管理に努めている。庭園と資料館の単独施設で唯一入場料の設定や友の会がある。